現代の「食わず女房」
福島県 郡山市 矢部 みゆき
「私、男運がないのよ」と、その人は言った。面談室に座るその女性は、五十代後半。セミロングの巻き毛を栗色に、まぶたの上をパール色に、爪を桜色に染めて、にっこりと微笑みながら私の前にいた。
聞けば、二十代で付き合った男どもはみんな、他の女の元に去ったという。「私が稼いで食べさせて、尽くして尽くして、いつも捨てられるの」。逃げた先の女というのが、今でいうところの「ゆるふわ」の稼ぎもなければ家事もできないような、どこがいいのか分からない女たちだった。男を見る目がないのでと、お見合い結婚をしてみれば、三回しか会わずに結婚した夫はアル中だった。嫁ぎ先は商家だったので、夢中で子育てをしながら家業もこなしているうちに、夫は癌であっさりと亡くなった。舅姑を見送り、気が付けば息子二人は不登校に。
「ああ、私はどうしてこんなに男運が悪いんだろう。私のどこが悪いんだろう」と言いながら、どこか誇らしげな彼女に私は「食わず女房」を見た思いがした。でも、彼女は何も欲しがってはいない。歴代の男たちにも、婚家にも「おらー、飯をくわねぇ女だ。飯食わねぇでよっく働くから嫁にしてくれろ」と、決して見返りを求めず身を粉にして働いてきたではないか。さて、私の見立てが間違っているのか?私はこの見立てを自分の胸にとどめておいた。
次の面談日に、疑問は解決した。彼女が「私が先走って、どんどんことを進めてしまうから、男をつぶしてしまうのだわ。つぶされるのを恐れた男たちは私から逃げ出したのね」と自ら答えを出してくれた。彼女は、男たちの「男としての誇り」なるものを食いつぶしていたということになる。面談を進める中で彼女は自分の生き方を受け入れ、迷いを晴らしていったようだった。
商家を背負った彼女は、女性実業家として成功し、息子二人にもそれなりのポジションを与え、カッカ、カッカと人生を謳歌している。か弱い男どもなぞ蹴散らして、これまでもそうであったように、これからも生き生きと現代の山姥として生きていくのであろう。その姿は、まるでジブリ映画「天空の城 ラピュタ」の空中海賊の女首領ドーラである。
伝承の語り手たちの多くが知恵者であり人格者であった。私は、伝承の語り手ではないが、「語り」で学んだことは、心理の仕事に大いに役立っている。ありがたいことである。
(クライアントの設定は、一部フィクションです)
(公認心理師・医学博士・会員)
posted by 語り手たち at 16:14|
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