2022年11月01日

太陽と月の詩 NO.238 巻頭言

妖怪は語りからしか生まれない                                                                                      

兵庫県 伊丹市    堀田穣(ほったゆたか)

 去る八月六日(土)全日本語りの祭りプレイベントで、Zoomを使ったリモート講演「妖怪入門―加賀の巻―」をさせてもらった。企画は末吉正子さんや三田村慶春さんら「ゆかいよーかい委員会」によるもの。十月の全日本語りの祭りが、今年は石川県加賀市で行われるので、加賀市民俗調査報告書『かが風土記―見て・歩いて・学ぶ旅』に執筆していた関係で起用されたのだった。この小冊子、加賀市教育委員会から出版されたが、すぐ品切れ絶版になり、加賀市周辺の公共図書館に所蔵されているものか、国立国会図書館や大学図書館くらいにしかないので、なかなか読めないのが心苦しいが、旅のガイドブックのように使ってもらうことを意図して制作した。 

 リモート講演であまり時間の余裕のない中、特に小松和彦先生の『妖怪文化入門』(角川ソフィア文庫、二〇一二年)をもとに、妖怪のあり方の三段階を、急いで示した。 

(1)不思議なこと(妖怪・怪異)に単独で出会う 現象 

(2)共同体(村とか城下とか)に戻って、近辺の人々に語る 存在

(3)もっと大きな社会に伝えるために文字や絵で遺す 造形 

 加賀市大聖寺(だいしょうじ)に遺された『聖城怪談録(せいじょうかいだんろく)』は、大聖寺藩という加賀藩の支藩が江戸時代支配していた頃のもので、天守閣のあるようなりっぱなお城ではないが、いわゆる城下町であった。そのお殿様が、家来を集めて怪談会をした記録が『聖城怪談録』、今では加賀市のホームページで現代語訳が読めるのだ。下五「島田幾之進が疫病の神にあう」、上二十一「渡辺六左衛門が疫病神を切る」を比較すると、前者は(1)現象の段階で、疫神に会った者が死んでしまったというだけの話に対して、後者は (2)存在の段階に至っており、殿様と直接話せるような上級武士たちの共同体の中で、語られたはずの話なのであった。そもそもサムライは、お札やお守りに頼るべきではない、武勇で妖怪に立ち向かうべきだと『聖城怪談録』序文に書いたお殿様の前で、疫病に苦しみながら、疫神を切って回復しましたと誇らしげに語られたのではないか。忖度が付け加わったに違いない。

 人をだます、「騙りかたり」と、語りの音が通じているのも、この辺に根拠があるだろう。(2)では、共同体の価値観が語り手にも入ってくるのである。存在というのは、不思議な出来事や物事に対して、それはこれこういう名前の存在(例えば天狗)が引き起こす仕業である、と語った方が周りに伝わり易い。「妖怪は語りからしか生まれない」とリモート講演で強調したかったのは、以上のようなことである。

 (語りに関わる研究事業担当理事・

京都先端科学大学名誉教授

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