2019年11月04日

太陽と月の詩 NO.226


令和と平将門(たいらのまさかど)の首

兵庫県 伊丹市 堀田 穣

平成から令和には、今年二〇一九年の四月三十日深夜から五月一日に替わったわけだが、その夜、あるSNSでは、東京都千代田区大手町の平将門首塚の映像が流され、日付が変わる頃になると、午後十一時五十数分何秒、将門首塚は変化せず、と実況中継されていたのをご存知だろうか。これは首塚が鳴動しないかと期待されていたのである。

元号というのは、代替わりの時よりも、瑞祥や災厄の時に変えられて来たという歴史を持っている。そして災厄も現代での単なる災害ではなく、あれやこれやの予兆や、妖怪怪異現象が現れたり、さらには疫病が蔓延するとか凶作になるとかなどが勢ぞろいでやって来るのだ。このような時に、京都だったら将軍塚、奈良だったら御破裂山が鳴動して異変を知らせる。実際、阪神淡路大震災の直前には兵庫県猪名川町で群発地震がおき、多田院(源満仲の廟)鳴動ではないかと囁かれたものだ。それらに劣らぬ霊威が首塚にはある。

藤原秀郷ひでさと(たわらの藤とう)によって討ち取られた将門の首は京都でさらされたが、宙を飛んで坂東に戻り、芝崎村の神田社辺りに落ちて夜な夜な怪光を放った。そこで鎮められ首塚が造られた。明治維新以降に大蔵省が設置され、関東大震災によって庁舎が焼失し、将門塚も崩壊すると、大蔵大臣はじめ官僚たちが次々と病死した。あわてて将門の慰霊祭が行われる。さらに第二次世界大戦後、G HQは首塚一帯に駐車場を建設しようとするが、ブルドーザーの運転手が転落死する事故などが発生して中止され、首塚は地元町会有志によって手厚く保存されている。(『東京都の地名』日本歴史地名大系、平凡社から)

NHK教育のテキスト附き番組『趣味どきっ』では「京都・江戸 魔界めぐり」として、八月は京都、佐々木高弘氏、九月が江戸で飯倉義之氏の解説、どちらもよく知った研究者で応援している。しかし、江戸については狐、河童、天狗、お岩さんの四つで、将門が取り上げられていないのが不満だったのでここに書いておく。すでに鎌倉時代、源実朝は『将門合戦絵』を造らせ、江戸時代には小山田与清『相馬日記』で将門縁の地を巡る旅行記を書いたりして、関東人の物語の枠組みとしてしっかりと根を下ろしているはずなのだ。

京都先端科学大学人文学部特任教授 本会会員

ほった・ゆたか





posted by 語り手たち at 16:36| Comment(0) | 太陽と月の詩
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