福島支援―平成から令和へ―
福島県 福島市 松本 貞子
原発事故による福島の空間線量は24マイクロシーベルトという高い数値でした。目に見えない放射能汚染の恐ろしさに、どこに身を置いていいのか、自分を取り戻すすべを知らずに、私は何日間かぼーっとしていたような気がします。そんな時、全国の子どもの本の関係者や文庫の仲間、そして語り手たちの会の方々から「どうしていますか」と電話やメールをいただきました。数々のご支援の言葉に励まされ「被災地・福島の子どもと本をつなぐ会」を立ち上げたのは、事故から半年ほど経った九月のことでした。さまざまなグループや図書館のボランティアの人たちからの品物や支援金、そして「語り手たちの会」からは福島の子どもたちに支援に行きましょう、というオファーが届きました。
子どもたちは登校するときは長袖、帽子、マスク姿、外遊びもできずに運動は校舎の中でというのを私たちは目の当たりにしていました。早速、会員たちで学校などに伺い、趣旨を説明したところ、二十か所ほどの学校や保育園、幼稚園からOKの返事がありました。
「語り手たちの会」からの語り手を福島駅で出迎え、一日をご一緒できることで、私たちも子どもたちも豊かな気持ちになって現状の辛さを忘れることができました。子どもたちは、目がぱっちりあいておはなしに聞き入ったり、体をよじって笑ったりして一時間(授業時間にして四十五分)を楽しんでいました。先生は「こんなに楽しそうに聞き入るなんて、授業ではなかなか見られませんね、語り手の方々の力ですね」と子どもたちの様子に驚いたようです。
あれから九年、あの時一年生だった子が中学三年です。その間先生たちは転勤があり、移動先の学校で出会うこともあります。今では「今年もよろしく」と当たり前のように授業時間を語りの時間にしてくださるようになりました。
しかし県内にはまだ帰還困難地域があり、放射能のごみ(フレコンパック)は我が家の庭の隅にも積まれたままです。復興はまだまだの感がありますが、諦めることなくこれからこの世界を担う子どもたちのためにも、語りや子どもの本を通して、ふれ合っていきたいと思っています。
(会員・福島 子どもと本をつなぐ会代表)