2022年05月01日

太陽と月の詩 No.236号 巻頭言

やり過さないために

NPO法人 語り手たちの会 理事長  片岡 輝

 人は愚かなもので、大切なものの本当の価値は、失ってみて初めて気付くことが多い。時流に身をまかせていると、眼力にも曇りが生じてくるのだろうか、とかく自己中心で遠見が効かなくなる。日常の些事ならまだしも、一国の命運ともなれば、後から悔やんでも取り返せない。その失敗の繰り返しの結果は歴史にはっきりと刻まれている。  


 フランク・パヴロフ作 ヴィンセント・ギャロ絵『茶色の朝』(大月書店・2003)は、目が覚めたら一夜のうちに世界が茶色一色に染まり、競馬情報を読もうと思って手にしたいつもの朝刊の題字が「茶色新報」に変わっている。図書館の蔵書の発行元の出版社がつぎつぎと裁判にかけられ、それらの出版物が棚から強制撤去された。茶色の巨大な圧力が日常を押しつぶそうと迫って来る。茶色党がペット特別措置法を制定したので茶色以外のペットは飼えなくなった。「いやだと言うべきだったんだ。抵抗すべきだったんだ。でも、どうやって? 政府の動きはすばやかったし、俺には仕事があるし、毎日やらなきゃならないこまごましたことも多い。他の人たちだって、ごたごたはごめんだから、おとなしくしているんじゃないか?……だれかがドアをたたいている。こんな朝早くなんて初めてだ。

……陽はまだ昇っていない。外は茶色。そんなに強くたたくのはやめてくれ。いま行くから。」  


 物語は、ここで終わっている。その先がどうなるかは、読者の想像力次第だ。哲学者の高橋哲哉は、「やり過さないこと、考えつづけること」とのメッセージを本書に寄せている。「ファシズムや全体主義は権力者が人びとを一方的に弾圧し恐怖政治をしくことによって成立するだけではありません。 …はるかに多くの場合、人びとがそうしたものの萌芽を見過ごしたり、それに気づいて不安や驚きを

覚えながらも、さまざまな理由から、危険な動きをやり過ごしていくことによって成立するのです。」  


 やり過すとは、見ざる・聞かざる・言わざるを決め込むこと。見て・聞いて・もの言うためには、考えつづけることが肝要だ。目をカッと見開き、耳を研ぎ澄まし、口を大きく開けていよう。頭脳を明晰に保つことは言うまでもあるまい。


posted by 語り手たち at 18:55| Comment(0) | 出版物
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: