戦場での語り
東京都 足立区 大島 廣志
ロシアのウクライナへの侵攻は五ヶ月に及びますが、未だに停戦の兆しもうかがえません。日本のテレビは、毎日、ウクライナの戦場を映し出しています。
防空壕の中で、少女が懸命に歌っている映像は全世界に広まりました。リビウの避難所となっている劇場で、ウクライナ民謡を歌う歌手がいました。ポーランドへ避難する人々にピアノを聞かせる青年もいました。
歌や音楽は、戦場や避難所にあって、人々の心をいやしているのです。それでは、子どもたちの幸せを願って語りを続けている現代の語り手は、戦場や避難所で何ができるのかを考えさせられました。
ウクライナのゼレンスキー大統領が三月二十三日に日本へのメッセージを発信しました。その中で、「妻が視力の不自由な子どものためのプロジェクトに参加し、日本の昔話をオーディオブック化した」1 と話していましたが、この昔話とは、「桃太郎」と新美南吉の『二ひきのかえる』でした。「桃太郎」は弱小連合が巨悪に立ち向かう話であり、『二ひきのかえる』には「けんかのなかなおりはむずかしいことじゃない」(前書き)とあります。さらに、ウクライナには『てぶくろ』、ロシアには『おおきなかぶ』があります。これらの話は、今、ウクライナでどう受けとめられているのでしょうか。
太平洋戦争の最中、ニューギニアの戦地で山形県最上出身の故新田小太郎さんは、戦傷兵の看護をしていました。兵隊が亡くなる前に昔話を語ってあげると、皆、笑顔で息をひきとったといいます。そんな語りもありました。ドイツのルジュモンさんが書いた『グリムおばさんとよばれて』には、著者が野戦病院でグリム童話を語っていた様子が細かに述べられています。新田さんもルジュモンさんも大人に向けた語りでしたが、ここには「語りの力」があります。
もし、日本が戦争に巻き込まれたとき、語り手は何ができるのか、できることは語りです。では何を語るのか、今、一人一人の語り手が考えるときではないでしょうか。
(語り手たちの会理事)