2018年02月01日

太陽と月の詩 219号 巻頭言

語り手たちの会発足四十年 そして次の十年へ

静岡県伊豆市 上原佐恵子

「語り手たちの会」発足四十年、感謝の気持ちでいっぱいです。大きな木から枝が健やかに伸び、美しい葉の語り部たちが育ってきたのでしょう。会が果たしてきた役割は、まさに「語りの世界」を大きくあたたかく開いてきたはず、と考えます。

さて、三十周年記念事業の年には何度も王子の「北とぴあ」に足を運びました。

ゆったりと「語りの歴史」をトークされた故櫻井美紀さんの姿が思い出されます。薩摩琵琶の岩佐鶴丈さんにも深い溜息。また、池田香代子さんには講演後に「戦争のつくりかた」の本にサインしていただきました。驚いたのは中世の古楽器演奏&ボーカルの「ジョングルール」です。鎌倉の寺、西荻のライブへと追っかけて、伊豆へ招聘を決定。大成功に終わった事は言うまでもありません。

あれから、十年。まさかの池田香代子さんとは昨年、田村市の宿で同室になり、手前勝手に御縁を感じた次第です。語り手たちの会と田村図書館の共催事業の分科会で「紙芝居」についてトークと実演をさせていただきましたが、私にとって想定外?の嬉しい想い出になりました。想い出と言えば、錦糸町のホール「芸術の語り」も欠かさず聴きに行き、素晴らしい語り手と演出とのコラボレーションに、うっとりと聴きほれました。

「語り」とは何なのでしょうか。ただ、本から字を追い、覚え、声に出すだけではない。同じ話なのに、お人によって、全く違って聞こえる。音楽とのコラボも時には良い。語り手と聴き手の相性もある。「おはなし」と語り手自身との相性もある。何だか違うな〜と我儘な聴き手にもなる。でも情けなく語ってしまう自分に毎回、反省する。同じ話を十年経て語ると、また違う。しかし、その積み重ねミルフィーユが絶品になるとは限らない。聴き手だって、同じだ。まさにライブは生もの。だから、魅力!魔力!

 いつまでたっても山の裾野をグルグル廻っている自分が苦しい。何故?苦しいのに続けるの?だって、語りが好きだから。だったら、努力でしかない!そして、自己を知ること。幸い、まわりにはキラキラした素敵な語り部の新芽が出ている今の私が出来ることは新芽に若干の水やりのお手伝いをすること。小さな木でも老木でも、なばえ芽が出てくる。あと十年は頑張りたい!常に原点に立ち返って努力していきたいと願う私です。 

※注・なばえ芽=木の切り株から生えた芽、ひこばえ   

(会員・かたりいず『伊豆語りの会』代表)
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2017年11月01日

太陽と月の詩 218号 巻頭言

語りの世界を豊かにする魅力的な語りを

山形県山形市  井上 幸弘

 語り手たちの会が結成四十周年になりますが、ここまで続けてこられた多くの方々の努力に感謝申し上げます。地方に住む会員として定期的に届けられる会報・機関誌を読むぐらいで、なかなかイベント等に参加できずにいるのが残念です。
 ところで、「継続は力なり」と言われます。しかし実際続けていくためには相当の努力なしには成し遂げることはできません。山形県の民話グループを結集した「やまがた民話の会協議会」という組織があります。今、存続の危機にあります。県内で民話のグループが減少しているわけではありません。各地域において活動は続けておりますし、語りのイベントも行っています。けれども民話の会協議会から一つ抜け、また一つ抜けという状態になっています。
 民話グループの高齢化、新しい人の参加がない、ということに加えて、県全体の語りのイベントを行うには負担が大きすぎる、協議会に加入していてもメリットがない、等々の理由があります。なかなか打つ手がない状態です。そんななかでも新しい人が加入し、元気が良い団体もあります。その団体では、退職したら是非参加したいと思っていた人たちが加わっているのです。
 各地において「民話の継承」ということで、子どもの語りに力を入れた活動が行われております。子どものいきいきとした語りを聞くと楽しくなりますし、将来是非語りを行って欲しいと思います。
 子どもが語ることももちろん大事にしながら、「語り」が楽しい、おもしろいと思い、いつか私も語ってみたいな、と思ってくれる大人、言わば「語り手予備軍」の人をいかに増やしていくのか、ということを考えたいと思います。そのためには大人を対象にした語りの会を数多く開き、魅力的な語りをしていくことが大事なのではないでしょうか。
 私は、最近子どもたちの前で話が出てこなくなってしまったことがありました。いつも語っている山形のとんと昔だから大丈夫との慢心があったのでしょう。聞いてくれていた子どもたちに申し訳ないと思いました。
 私たちは日ごろの語り活動を振り返りながら、語り手の自己満足でない聞き手にふさわしいお話をきちんと準備して語っているか、語りの世界を豊かにするため、自問自答してみる必要があるのではないか。普段の地道な努力を大切にしていきましょう。      
(会員・ききみみの会主宰)
 
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2017年08月02日

太陽と月の詩 217号 巻頭言

子どもたちの行く手に

               

東京都 尾松 純子



語り手たちの会が四十周年を迎えました。私の入会は四年目ぐらいだったと思います。幼い息子たちを連れて武蔵野公会堂の和室で行われていた例会に通いました。櫻井さんは別世界の人のように優雅で優しくて、受付には大好きな先輩、曲田さんが座っていてくださいました。あの頃見ていた行く手の光。私はずっとそこに向かって歩んで来たように思えています。覚束ない歩みでしたが、いつも踏みしめる確かさがありました。

でも、今、私たちの立つ大地が大きく揺らいでしまっているような中で、茫然としています。私たちの国に何が起きているのでしょう。言葉とは何なのでしょう?その精神世界を構築しているはずの、世界を創り上げているはずの言葉が何と虚ろに響くことでしょう。

子どもたちは、日々大人の言葉の中を生き、大人たちの言葉が創り上げた世界で育っていきます。私たちの語りは、真実を語り、生きることの喜びを語り、誠実に生きることの美しさを語り続けてきたはずです。そして、私たちの語りは、どんな状況をも生き抜けるようにとの願いと共に、子どもたちに生きていく言葉を手渡す営みでもありました。その存在のかけがえのなさと愛を伝え、“大きな受容の中で生きることのできる世界”を手渡すことでもありました。でも、最近子どもたちにお話を語りながら、後ろめたさのようなものを感じる瞬間がありました。持ち得る全ての力を注ぐけれど、あなたたちの行く手を守ることができないかもしれない・・・そんな不安がよぎります。

そんな時、心の奥に響いてくる言葉がありました。

「最も辛い状況で様々なことを選択しなければならないが、その時、中心には人間がいなくてはならない。人間が苦しんでいるのに経済を考えて助けないということは、どうやっても正当化することはできない。人が自分のせいではないのに辛い状況に陥ってしまった時には、この人は社会において二重に保護されねばならない」

チェルノブイリ事故で苦しんでいる人たちへ向けたウクライナ初代大統領の言葉です。

また、アメリカの闇を暴いたエドワード・スノーデン氏は、「死ぬほど怖い決断だった」と言い、

「だが法律を超えても守らなければならない倫理が存在する」と。

『チェルノブイリの祈り』の著者アレクシェービッチ氏は、大きな歴史が素通りする小さき人々に限りなく優しく寄り添いながら、「人間であり続けることは容易ではない。それでも人間であり続ける作業は、一人になってもやっていかねばならない」と。

彼らの高貴なまでの誠実さと、深い優しさの前に居ずまいを正し、私たちの語りがこの暗澹たる状況の行く手に見える光になり得ることを祈り続けます。 

(語り手たちの会理事・おはなし夢夢主宰)




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