2017年04月30日

太陽と月の詩 216号 巻頭言

創立四十周年のその先へ


片岡 輝


 世界の行く手になにやら不吉な暗雲が立ち込め、これまで揺るぎないものと安心していた大地に亀裂が走ろうとしている中、語り手たちの会は創立四十周年を迎えました。肉声の語りで人と人の心に橋を架けて、子どもたちの笑顔と幸せを守ろうと地道な活動を続けてきた私たちの志と実践の真価が、いま鋭く問われていると同時に、宗教、国境、民族、性別、教育、情報格差、貧富、正規雇用と非正規雇用、大都市圏と地方などなど、人びとを分断する力が強まっているからこそ、その流れに歯止めをかけ、引き裂かれた傷口を修復すべく、語りが果たす役割の重要性がかつてなく高まっていると感じています。


 子どもたちの笑顔と幸せは、子どもを取り巻くすべての人々の笑顔と幸せなくしてはあり得ません。すべての人々が等しく笑顔と幸せであるためには、社会がやさしさと寛容さに満ち、公平でガラス張りで互いに違いを認め合い、憲法を遵守し、人権を守って、他者を貶めることなく、平和を愛さなくてはなくてはなりません。その初めの一歩が、心を開いて言葉をかわすコミュニケーションです。


 折しも、東京では、約五〇〇年前、ネーデルランドで活躍した画家ピーテル・ブリューゲル一世が旧訳聖書に記載されている物語『バベルの塔』を描いた作品が公開され、話題となっていますが、天を衝く高い塔を建てようとした人間の驕りが神の怒りを買い、言葉を奪われた人間は意思の疎通が出来なくなり、塔が未完に終わるさまが描かれています。この物語が示す教訓については、諸説がありますが、ポスト・真実といわれる天をも畏れぬ空疎な虚言が世界を駆け巡っている現状の未来を予告しているかのように思えてなりません。私たちは、小さな真実と愛の言葉を地道に語り紡ぐことを創立四十周年のその先へ向かって続けて行く決意を新たにし、ともに歩み続けたいと願っています。


(NPO法人語り手たちの会理事長)



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2017年01月31日

太陽と月の詩 215号 巻頭言

四〇周年 おもうこと

                              東京都府中市 須山優子

今年、語り手たちの会は創立四〇周年を迎えます。今号に年間の記念事業も掲載いたしました。どれも「語りの多様性」と、次世代への想いを託した「語りの未来」をテーマとしています。
会の一員として、この機会に「四〇周年記念の個人目標」を立ててみることにしました。
一、物語に入り込む旅を〜再話からオリジナルまで〜
以前、不思議な体験をしたことがあります。平家物語の祇王と佛御前、この女性たちの心情をもっと理解したいと思い、二人の終の棲家となる嵯峨野祇王寺を訪ねたときのこと。初冬の夕暮れ時は人気もなく、竹林に囲まれた庭を庵の縁先から眺めていると、後ろで密やかな話し声が…。「あなたがここにいらしたときは、ほんに驚きました。その上、この庵にお迎えすることになろうとは」「祇王様、私は入道殿の屋敷から命懸けで出て参ったのです。人として、生きるために」庵のあるじ祇王御前と髪を下した佛御前、そう、確かに。思わず、薄暗がりに鎮座する二人の座像に手を合わせてしまいました。帰り道、すれ違った見知らぬ老婦人曰く「実の姉妹のような最期だったのです、お二人は」・・・すてきな白昼夢。この旅で、再話「白拍子ふたり」は完成しました。(会誌55号)今年はできる限り物語の故郷に出かけよう。見て体感して、そして創るために。
二、眼差しを読み取る〜赤ちゃんからお年寄りまで〜
辛い思い出があります。落ち着きがなくなった子の保護者に「Мくん、おうちで何かありました?」「いいえ、べつに…」その後、冷たい見方をすると保護者からのクレーム。語り手(私)の「語り口調」、聞き手(保護者)との気持ちの通じ合いに至らないところがあったのでしょう。
嬉しい思い出も一つ。「いっぱいあるけど中くらいの嫌なことはね、内緒だけど、あっちゃんにカバン持たされたこと」と、耳元で囁いた一年生のKちゃん。そっとハグすると、体の力を抜いてクスクス笑ってくれました。気持ちが通いあった一瞬です。
語りの原点は、やはり日常会話です。目線や表情、抑揚や緩急等はすべて意味のあること。赤ちゃんからお年寄りまで、心は眼差に表れます。それを大事にくみ取って語っていこうと思います。
皆さまの今年の目標もお聞かせください。記念事業の場で語り合いましょう。前理事長、故櫻井美紀さんもきっとにこにことしながら耳を傾けてくださっていることでしょう。

                                (語り手たちの会理事)
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2016年10月31日

太陽と月の詩 214号 巻頭言

心に届く言葉
東京都 大竹麗子



「声はうそをつかない」・・心ない言葉、つまり心とは違う言葉を言ってしまうことはあるが、声は決してうそはつかない。音声で言葉を伝えた時、表意(意味)が届くのではなく、その言葉を発している人の内側の真意(本当の気持)が届くのだ。

 物語を語る者にとっては、実に重要な事だ。

「美しい」とか「暖かい」を意味する言葉を発しても、その人の内側に、本気でその思いが内在していなければ、何度「美しい」をくり返しても「美しさ」は届かない。一字一句違わない原稿を二者が語った時に、一方はただの報告文のようになり、一方は、語った内実が深く確かに聞き手の心に届く、と言う事が生じるのもこのことによる。

 1932年に国連からの依頼で、アインシュタインとフロイドが「人はなぜ戦争をするのか」を書簡にて考察し合ったことがある。

 結論は「それにはその国の文化の在りが大きく関わっている」だった。

文化という言葉は茫漠としているが「人を人としての幸福へ向かわせてゆく広く大きな力である」と言う意味を内包する。人類の最大の文化遺産は言語である。

 その言語文化の最高峰であるストーリーテラーの我が国の内実はどうなのだろう?

日本ではまだまだ社会的なストーリーテラーの歴史は浅く余暇的趣味としてとらえられている。

臨床心理医が認められていなかったように児童文化という世界も、文化という名称だけはしっかりついているが、確かな質的内実と広がりを、他のマスメディアに匹敵する程、もてているのだろうか? 子ども達への美しい言語文化を大人達は本気で考えてきたのだろうか?と問いたい。

 だが、かつて臨床心理医が賢明に汗を流し実績を積み上げて、社会にみごとなプロフェッショナルの仕事を実現させたように、かつて朝日新聞紙上にて天野祐吉氏が「この国の将来に最も大事な事は、〃心に届く言葉の関係〃を本気で築いてゆく事なのだ」と叫ぶように言っていた様に、今、全国の子どもの文化に関わる人達が 本気でこの道を「仕事です!」と言える高みまで深めてゆき、必ずや地上の星となることを私は信じて、自分自身もこの道をリスペクトして歩み続けてゆきたい。


                     (会員 おはなしかご主宰)




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