2018年08月02日

太陽と月の詩 221号 巻頭言

人間への贈り物「想像力」

東京都杉並区 池田香代子

三歳九カ月の孫娘が芝居小屋デビューをはたした。舞台に上がったわけではない。はじめて見物したのだ。

ちいさな劇場は、ハイハイの赤ん坊まで含めて、おさない観客でにぎわっていた。演し物は「赤ずきん」と「ブレーメンの音楽隊」。声優たちがパペットを操りながら、舞台いっぱい、にぎにぎしくストーリーを織りなしていく。

つまり、演者の全身が見えるわけだ。片手に装着した赤ずきんやろばの人形が口をぱくぱくさせ、声は演者が出す。このシステムというか、約束事を受け入れた上で、子どもはパペット芝居を楽しめるものだろうか。

そんな杞憂はすぐに消えた。おおかみが出てくると、孫はシートの上にうしろ向きに立ちあがり、背もたれをつかんで顔だけ舞台のほうに振りむき、いっしんに注視している。怖かったのだ。でも、おもしろくて目が離せないのだ。

ここで、わたしは自分の愚かさに気がついた。孫とはいつもお人形さんごっこをしているではないか。ふたりで人形やぬいぐるみのセリフを言いあいながら、架空のお話を楽しんでいるではないか。だったら、彼女がパペット芝居という様式を瞬時に理解しないわけがない。むしろおさない子どもはおとなよりも、虚実のあわいに立ちあがる演劇的なものに没入する能力に長けている、と考えたほうがいいくらいだ。

それにしても、演じられるストーリーを非現実とわきまえながら全身全霊で楽しむことができるというのは、ヒトという生き物に与えられた、いったいどんな恩寵だろうか。目の前の生身の人間や人形が架空の存在になりきって、こことは異なる世界に生きるさまを受けとめるというわたしたちの想像力には、あらためて驚きを禁じ得ない。しかもこの想像力は、言葉をおぼえたばかりのおさない子どもにすでにゆたかに備わっているのだ。

それは、演者からすれば、想像力というよりは憑依の問題なのかもしれない。物語を演じるとは、モノノケが乗り移ってカタルということだからだ。演者は、乗り移られて異世界に命を得る部分と、それを冷静にコントロールするこちら側の部分に分裂し、そのふたつの部分が最良のコラボレーションをするとき、成功を収める。

次は、孫をお話会につれていこうと思う。きっと、声だけで演じられる異世界を楽しむことだろう。ばぁばのお話は、まわりのおもちゃに気が散って、よく聞いてくれない。わたしの語りがへたくそ、つまり依り代として稚拙だということは措くとして。(ドイツ文学研究者・会員)

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2018年05月02日

太陽と月の詩 220号 巻頭言

五十周年へ向けての一歩を踏み出すにあたって 

NPO法人語り手たちの会理事長 片岡 輝

 三月四日に横浜市緑区のみどりアートパークで、谷川俊太郎さんと賢作さんをお迎えして開かれた「青い地球にことばの種を!」は、一年を通して展開してきたNPO法人語り手たちの会四十周年事業の掉尾を飾って、三〇〇人を超える参加者が、明日の語り手たち六名と福島県田村市から招いた子ども語り手七名の合わせて十三名の旅立ちを祝福し、励ます会として、大きな拍手とあたたかい笑顔にあふれました。


 小学生から高校生、保育者までの明日の語り手たちは、会の横浜グループが、福島県田村市の小学生の子ども語り手は、田村市の伝承語り手による田村市図書館子ども語り手養成講座が手塩にかけて育んだ、ともに語りの文化を明日へと伝える役割を担う大切な宝です。


  四月六日付けの東京新聞に、奇しくも同じ四十周年を迎えた児童文学『ズッコケ三人組』(那須正幹著)シリーズの舞台となった広島市西区己斐地区で、ハチベエ、モーちゃん、ハカセの三人組が出没して活躍する「アカツキ書店」「喫茶店・田園」「花山デパート」などのモデルとなった建物の老朽化や店じまいが進み、作者の同級生が作ったグループ「ズッコケ三人組のふるさと己斐」が担ってきた銅像や看板設置やモデル地を巡るツアーなどの活動も、メンバーの高齢化で停滞気味であることから、若い世代が活動を引き継いでほしいという呼びかけが報じられていました。激しく移り変わる時代とともに、人びとの記憶も薄れ、考え方や行動パターンや好き嫌いも変わり、世代から世代へと伝えられてきた歴史や文化や習俗などの伝承もともすれば途絶えがちです。


 戦争体験、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験、大震災の被災体験などの語り部の世代交代も進んでいます。その時々を生きた無数の名もなき人々のかけがえのない記憶を次の世代にどう伝えていくかが時代の証言者であり伝承者でもある私たち語り手に求められています。


 歴史修正主義者と称せられる人々が、自分たちの主義主張に都合の悪い歴史的な事実を無かったこととして、都合のいいように書き改めようと画策しています。こんな暴挙を許さないためには、事実を誠実に記録し、語り伝える地道な営みを積み重ねて行かなくてはなりません。明日の語り手の誕生、基礎講座二〇一八の開講、各事業の推進は、会の次なる五十周年へ向けての、明るく希望に満ちた取り組みのスタートです。会員のみなさまの積極的なご参加をお待ちしています。     

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2018年02月01日

太陽と月の詩 219号 巻頭言

語り手たちの会発足四十年 そして次の十年へ

静岡県伊豆市 上原佐恵子

「語り手たちの会」発足四十年、感謝の気持ちでいっぱいです。大きな木から枝が健やかに伸び、美しい葉の語り部たちが育ってきたのでしょう。会が果たしてきた役割は、まさに「語りの世界」を大きくあたたかく開いてきたはず、と考えます。

さて、三十周年記念事業の年には何度も王子の「北とぴあ」に足を運びました。

ゆったりと「語りの歴史」をトークされた故櫻井美紀さんの姿が思い出されます。薩摩琵琶の岩佐鶴丈さんにも深い溜息。また、池田香代子さんには講演後に「戦争のつくりかた」の本にサインしていただきました。驚いたのは中世の古楽器演奏&ボーカルの「ジョングルール」です。鎌倉の寺、西荻のライブへと追っかけて、伊豆へ招聘を決定。大成功に終わった事は言うまでもありません。

あれから、十年。まさかの池田香代子さんとは昨年、田村市の宿で同室になり、手前勝手に御縁を感じた次第です。語り手たちの会と田村図書館の共催事業の分科会で「紙芝居」についてトークと実演をさせていただきましたが、私にとって想定外?の嬉しい想い出になりました。想い出と言えば、錦糸町のホール「芸術の語り」も欠かさず聴きに行き、素晴らしい語り手と演出とのコラボレーションに、うっとりと聴きほれました。

「語り」とは何なのでしょうか。ただ、本から字を追い、覚え、声に出すだけではない。同じ話なのに、お人によって、全く違って聞こえる。音楽とのコラボも時には良い。語り手と聴き手の相性もある。「おはなし」と語り手自身との相性もある。何だか違うな〜と我儘な聴き手にもなる。でも情けなく語ってしまう自分に毎回、反省する。同じ話を十年経て語ると、また違う。しかし、その積み重ねミルフィーユが絶品になるとは限らない。聴き手だって、同じだ。まさにライブは生もの。だから、魅力!魔力!

 いつまでたっても山の裾野をグルグル廻っている自分が苦しい。何故?苦しいのに続けるの?だって、語りが好きだから。だったら、努力でしかない!そして、自己を知ること。幸い、まわりにはキラキラした素敵な語り部の新芽が出ている今の私が出来ることは新芽に若干の水やりのお手伝いをすること。小さな木でも老木でも、なばえ芽が出てくる。あと十年は頑張りたい!常に原点に立ち返って努力していきたいと願う私です。 

※注・なばえ芽=木の切り株から生えた芽、ひこばえ   

(会員・かたりいず『伊豆語りの会』代表)
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