2020年05月02日

太陽と月の詩 NO.228

幻影の被膜

       NPO法人語り手たちの会 理事長  片岡 輝


  このところ、現代中国のSFから目が離せない。郝景芳(ハオ・ジンファン)の『折りたたみ北京』、劉慈欣の『三体』など。そこに新しく珠玉の短編のアンソロジー『月の光』(新ハヤカワ・SF・シリーズ)が加わった。現代のSFは、かつての宇宙活劇とは違って、高度な思弁文学に進化している。例えば、夏笳(シアジア)の「おやすみなさい、メランコリー」(中原尚哉訳)の一節を紹介しよう。〈あなたは心理学の本を買う。でもその理論が自分に役立つとは思えない。問題の根幹はきっと一人一人が幻影の薄膜をかぶって生きているから。その幻影をつくっているのは、いわゆる常識。あるいは日常言語の反復や常套句。あるいはおたがいの模倣。そんな玉虫色の薄膜で自己を演じている。その幻影の下には底なしの亀裂がある。その存在を忘れないうちは前進の一歩を踏み出せない。深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいている。薄氷の上に立っているように身震いする。自分の体重と同時に、影の重さも意識する。心理療法士はこう言うわ。大嫌いな自分を、子どもとして扱ってみたらどうかな。やってみよう。その子の手をとり、深淵を渡らせてあげよう。疑念を払って、信頼関係をもう一度築いてみよう。もちろん長く困難な道だ。人間は機械じゃない。スイッチ一つで疑心≠ゥら信頼≠ヨ、楽しくない≠ゥら楽しい≠ヨ、憎しみ≠ゥら愛≠ヨ切り替えることはできない。それでもその子に信頼を教えよう。それは自分自身を信頼することでもある〉


 幻影の被膜を作って私たちを底なしの亀裂に陥れている常識や日常言語の反復や常套句に縛られた状態から抜け出すには、虚飾に汚染された私たちの心の在り方をリセットして、一度スッピンに立ち戻ることではないかと思う。


 子どもたちは、今も思い思いのことに夢中に取り組んでいる。大人から見れば、無意味で役立たずの些事かもしれないけれど、彼らにとっては乗り越えなくては先へ進めない成熟のためのハードルなのだ。大人はなにかと口を出したがるが、手垢のついた助言など、百害あって一理なし。失敗や挫折を数多く経験することが彼らを大きく羽ばたかせる。まずは、私たち自身が自らの幻影の被膜からの脱皮に徹すること。残された時間は限られているが、変身する楽しみもまた大きい。




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2020年02月09日

太陽と月の詩 NO.227

福島支援平成から令和へ

福島県 福島市 松本 貞子

 原発事故による福島の空間線量は24マイクロシーベルトという高い数値でした。目に見えない放射能汚染の恐ろしさに、どこに身を置いていいのか、自分を取り戻すすべを知らずに、私は何日間かぼーっとしていたような気がします。そんな時、全国の子どもの本の関係者や文庫の仲間、そして語り手たちの会の方々から「どうしていますか」と電話やメールをいただきました。数々のご支援の言葉に励まされ「被災地・福島の子どもと本をつなぐ会」を立ち上げたのは、事故から半年ほど経った九月のことでした。さまざまなグループや図書館のボランティアの人たちからの品物や支援金、そして「語り手たちの会」からは福島の子どもたちに支援に行きましょう、というオファーが届きました。

 子どもたちは登校するときは長袖、帽子、マスク姿、外遊びもできずに運動は校舎の中でというのを私たちは目の当たりにしていました。早速、会員たちで学校などに伺い、趣旨を説明したところ、二十か所ほどの学校や保育園、幼稚園からOKの返事がありました。

 「語り手たちの会」からの語り手を福島駅で出迎え、一日をご一緒できることで、私たちも子どもたちも豊かな気持ちになって現状の辛さを忘れることができました。子どもたちは、目がぱっちりあいておはなしに聞き入ったり、体をよじって笑ったりして一時間(授業時間にして四十五分)を楽しんでいました。先生は「こんなに楽しそうに聞き入るなんて、授業ではなかなか見られませんね、語り手の方々の力ですね」と子どもたちの様子に驚いたようです。

 あれから九年、あの時一年生だった子が中学三年です。その間先生たちは転勤があり、移動先の学校で出会うこともあります。今では「今年もよろしく」と当たり前のように授業時間を語りの時間にしてくださるようになりました。

 しかし県内にはまだ帰還困難地域があり、放射能のごみ(フレコンパック)は我が家の庭の隅にも積まれたままです。復興はまだまだの感がありますが、諦めることなくこれからこの世界を担う子どもたちのためにも、語りや子どもの本を通して、ふれ合っていきたいと思っています。

(会員・福島 子どもと本をつなぐ会代表)



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2019年11月04日

太陽と月の詩 NO.226


令和と平将門(たいらのまさかど)の首

兵庫県 伊丹市 堀田 穣

平成から令和には、今年二〇一九年の四月三十日深夜から五月一日に替わったわけだが、その夜、あるSNSでは、東京都千代田区大手町の平将門首塚の映像が流され、日付が変わる頃になると、午後十一時五十数分何秒、将門首塚は変化せず、と実況中継されていたのをご存知だろうか。これは首塚が鳴動しないかと期待されていたのである。

元号というのは、代替わりの時よりも、瑞祥や災厄の時に変えられて来たという歴史を持っている。そして災厄も現代での単なる災害ではなく、あれやこれやの予兆や、妖怪怪異現象が現れたり、さらには疫病が蔓延するとか凶作になるとかなどが勢ぞろいでやって来るのだ。このような時に、京都だったら将軍塚、奈良だったら御破裂山が鳴動して異変を知らせる。実際、阪神淡路大震災の直前には兵庫県猪名川町で群発地震がおき、多田院(源満仲の廟)鳴動ではないかと囁かれたものだ。それらに劣らぬ霊威が首塚にはある。

藤原秀郷ひでさと(たわらの藤とう)によって討ち取られた将門の首は京都でさらされたが、宙を飛んで坂東に戻り、芝崎村の神田社辺りに落ちて夜な夜な怪光を放った。そこで鎮められ首塚が造られた。明治維新以降に大蔵省が設置され、関東大震災によって庁舎が焼失し、将門塚も崩壊すると、大蔵大臣はじめ官僚たちが次々と病死した。あわてて将門の慰霊祭が行われる。さらに第二次世界大戦後、G HQは首塚一帯に駐車場を建設しようとするが、ブルドーザーの運転手が転落死する事故などが発生して中止され、首塚は地元町会有志によって手厚く保存されている。(『東京都の地名』日本歴史地名大系、平凡社から)

NHK教育のテキスト附き番組『趣味どきっ』では「京都・江戸 魔界めぐり」として、八月は京都、佐々木高弘氏、九月が江戸で飯倉義之氏の解説、どちらもよく知った研究者で応援している。しかし、江戸については狐、河童、天狗、お岩さんの四つで、将門が取り上げられていないのが不満だったのでここに書いておく。すでに鎌倉時代、源実朝は『将門合戦絵』を造らせ、江戸時代には小山田与清『相馬日記』で将門縁の地を巡る旅行記を書いたりして、関東人の物語の枠組みとしてしっかりと根を下ろしているはずなのだ。

京都先端科学大学人文学部特任教授 本会会員

ほった・ゆたか





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