2023年02月01日

太陽と月の詩  239 巻頭言

語 り対 面 と オ ン ラ イ ン 、 そ し て ハ イ ブ リ ッ ド

石 川 県 金 沢 市  井 上 裕 子


   ア ン デ ッ シ ュ ・ ハ ン セ ン 著 『 ス ト レ ス 脳 』( 新 潮 社 ・ 2 0 2 2 ) の 中 に 、 興 味 深 い 箇 所 を 見 つ け た 。 コ ロ ナ 禍 の 中 、 デ ジ タ ル 機 器 を 通 し て 外 の 世 界 と 繋 が っ て い て も 、 世 界 中 の 多 く の 人 々 が ス ト レ ス や 孤 独 を 感 じ て い る と い う。 画 面 越 し で は 私 た ち の 社 交 欲 求 は 満 た さ れ な い よ う だ 。

  精 神 科 医 の ハ ン セ ン は そ の 理 由 を 科 学 的 見 地 か ら 説 明 し て い る 。 鍵 と な る の が 鎮 痛 作 用 と 幸 福 感 を も た ら す エ ン ド ル フ ィ ン と い う 神 経 伝 達 物 質 。 ゴ リ ラ や チ ン パ ン ジ ー の 毛 づ く ろ い ( グ ル ー ミ ン グ ) は 、 群 れ の 中 で 社 会 的 絆 を 生 み 、 強 め る 働 き を す る こ と で 知 ら れ て い る が 、 こ の 時 、 エ ン ド ル フ ィ ン の 放 出 が 起 こ っ て い る の だ そ う だ。

  一 方 、 人 間 の 場 合 、「 他 の 人 と 一 緒 に や る 」 こ と で も エ ン ド ル フ ィ ン は 放 出 さ れ 、 連 帯 感 が 生 ま れ る と い う 。 肝 心 な の は 、 複 数 の 人 間 が 同 時 に 同 じ 感 情 を 抱 き 、 物 理 的 に 接 触 す る と い う 点 で あ る 。 笑 う こ と や 踊 る こ と 、 ユ ー モ ア や 感 情 の こ も っ た 話 を 聞 く の は 効 率 の い い 進 化 型 グ ル ー ミ ン グ な の だ そ う だ 。 そ こ で は っ と 気 づ い た 。 語 り は 効 率 の い い 進 化 型 グ ル ー ミ ン グ な ん だ と…… 。

  こ の 三 年 間 、 新 型 コ ロ ナ の パ ン デ ミ ッ ク に よ り オ ン ラ イ ン が 一 気 に 世 の 中 に 浸 透 し て い っ た 。 語 り の 世 界 に も 波 及 し た 。 デ ジ タ ル 機 器 と ネ ッ ト 環 境 が 整 っ て い れ ば 、 ど こ か ら で も 語 り の 会 に 参 加 で き る 。 国 内 外 を 問 わ な い 。 何 と 便 利 な 世 の 中 に な っ た の だ ろ う 。 情 報 通 信 技 術 の 進 化 に 感 謝 で あ る 。

  し か し 、 オ ン ラ イ ン の 語 り は 進 化 型 グ ル ー ミ ン グ の 条 件 を 満 た し て い な い 。 オ ン ラ イ ン (Zoom ) の 場 合 、 語 り 手 は 画 面 中 央 に 映 る 自 身 の 顔 を 見 な が ら 語 る 。 画 面 の 隅 に ギ ャ ラ リ ー の 顔 が 映 し 出 さ れ て い て も 、 聞 き 手 の 反 応 は 捉 え に く い 。 ギ ャ ラ リ ー の カ メ ラ を オ フ に 、 音 声 を ミ ュ ー ト ( 消 音 ) に さ れ る と な お さ ら で あ る 。 ま た 、 ハ イ ブ リ ッ ド ( 会 場 と オ ン ラ イ ン の 併 用 ) の 場 合 、 オ ン ラ イ ン で 参 加 し て い る 語 り 手 や ギ ャ ラ リ ー は 会 場 の 雰 囲 気 を 肌 で 感 じ る こ と は で き な い 。 私 た ち は 五 感 を 通 し て 物 事 を 認 識 す る 。 画 面 越 し で は 五 感 は 満 た さ れ な い 。 対 面 で の 語 り こ そ 、 語 り 手 と 聞 き 手 の 間 に 何 ら か の エ ネ ル ギ ー が 反 応 し 合 い 、 連 帯 感 が 生 ま れ る の で は な い だ ろ う か 。 不 安 定 な グ ロ ー バ ル 時 代 を 生 き る 私 た ち は エ ン ド ル フ ィ ン を 放 出 す る 進 化 型 グ ル ー ミ ン グ を 意 識 的 に 取 り 入 れ る 必 要 が あ る の か も し れ な い 。

( 語り手たちの会 国際・交流事業担当理事)



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2022年11月01日

太陽と月の詩 NO.238 巻頭言

妖怪は語りからしか生まれない                                                                                      

兵庫県 伊丹市    堀田穣(ほったゆたか)

 去る八月六日(土)全日本語りの祭りプレイベントで、Zoomを使ったリモート講演「妖怪入門―加賀の巻―」をさせてもらった。企画は末吉正子さんや三田村慶春さんら「ゆかいよーかい委員会」によるもの。十月の全日本語りの祭りが、今年は石川県加賀市で行われるので、加賀市民俗調査報告書『かが風土記―見て・歩いて・学ぶ旅』に執筆していた関係で起用されたのだった。この小冊子、加賀市教育委員会から出版されたが、すぐ品切れ絶版になり、加賀市周辺の公共図書館に所蔵されているものか、国立国会図書館や大学図書館くらいにしかないので、なかなか読めないのが心苦しいが、旅のガイドブックのように使ってもらうことを意図して制作した。 

 リモート講演であまり時間の余裕のない中、特に小松和彦先生の『妖怪文化入門』(角川ソフィア文庫、二〇一二年)をもとに、妖怪のあり方の三段階を、急いで示した。 

(1)不思議なこと(妖怪・怪異)に単独で出会う 現象 

(2)共同体(村とか城下とか)に戻って、近辺の人々に語る 存在

(3)もっと大きな社会に伝えるために文字や絵で遺す 造形 

 加賀市大聖寺(だいしょうじ)に遺された『聖城怪談録(せいじょうかいだんろく)』は、大聖寺藩という加賀藩の支藩が江戸時代支配していた頃のもので、天守閣のあるようなりっぱなお城ではないが、いわゆる城下町であった。そのお殿様が、家来を集めて怪談会をした記録が『聖城怪談録』、今では加賀市のホームページで現代語訳が読めるのだ。下五「島田幾之進が疫病の神にあう」、上二十一「渡辺六左衛門が疫病神を切る」を比較すると、前者は(1)現象の段階で、疫神に会った者が死んでしまったというだけの話に対して、後者は (2)存在の段階に至っており、殿様と直接話せるような上級武士たちの共同体の中で、語られたはずの話なのであった。そもそもサムライは、お札やお守りに頼るべきではない、武勇で妖怪に立ち向かうべきだと『聖城怪談録』序文に書いたお殿様の前で、疫病に苦しみながら、疫神を切って回復しましたと誇らしげに語られたのではないか。忖度が付け加わったに違いない。

 人をだます、「騙りかたり」と、語りの音が通じているのも、この辺に根拠があるだろう。(2)では、共同体の価値観が語り手にも入ってくるのである。存在というのは、不思議な出来事や物事に対して、それはこれこういう名前の存在(例えば天狗)が引き起こす仕業である、と語った方が周りに伝わり易い。「妖怪は語りからしか生まれない」とリモート講演で強調したかったのは、以上のようなことである。

 (語りに関わる研究事業担当理事・

京都先端科学大学名誉教授

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2022年08月05日

太陽と月の詩 No.237 巻頭言

戦場での語り 

東京都 足立区  大島 廣志 


 ロシアのウクライナへの侵攻は五ヶ月に及びますが、未だに停戦の兆しもうかがえません。日本のテレビは、毎日、ウクライナの戦場を映し出しています。 

 防空壕の中で、少女が懸命に歌っている映像は全世界に広まりました。リビウの避難所となっている劇場で、ウクライナ民謡を歌う歌手がいました。ポーランドへ避難する人々にピアノを聞かせる青年もいました。 

 歌や音楽は、戦場や避難所にあって、人々の心をいやしているのです。それでは、子どもたちの幸せを願って語りを続けている現代の語り手は、戦場や避難所で何ができるのかを考えさせられました。

 ウクライナのゼレンスキー大統領が三月二十三日に日本へのメッセージを発信しました。その中で、「妻が視力の不自由な子どものためのプロジェクトに参加し、日本の昔話をオーディオブック化した」1 と話していましたが、この昔話とは、「桃太郎」と新美南吉の『二ひきのかえる』でした。「桃太郎」は弱小連合が巨悪に立ち向かう話であり、『二ひきのかえる』には「けんかのなかなおりはむずかしいことじゃない」(前書き)とあります。さらに、ウクライナには『てぶくろ』、ロシアには『おおきなかぶ』があります。これらの話は、今、ウクライナでどう受けとめられているのでしょうか。 

 太平洋戦争の最中、ニューギニアの戦地で山形県最上出身の故新田小太郎さんは、戦傷兵の看護をしていました。兵隊が亡くなる前に昔話を語ってあげると、皆、笑顔で息をひきとったといいます。そんな語りもありました。ドイツのルジュモンさんが書いた『グリムおばさんとよばれて』には、著者が野戦病院でグリム童話を語っていた様子が細かに述べられています。新田さんもルジュモンさんも大人に向けた語りでしたが、ここには「語りの力」があります。 

 もし、日本が戦争に巻き込まれたとき、語り手は何ができるのか、できることは語りです。では何を語るのか、今、一人一人の語り手が考えるときではないでしょうか。 

(語り手たちの会理事

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